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桑原 ご無沙汰しております。 門玲子著「わが真葛物語」(藤原書店 2006年3月)はお読みになったでしょうか。その400ページに真葛関係の系図が掲載されており、桑原家のもあります。三代隆朝如則ゆきのり(養好・季愿・士かくなどとも)には、嫡子四代隆朝如弘ゆきひろ(養純)の他に、次男管冶(工藤周庵静卿)と三男慶三郎がいたと思われます。「真葛物語」には三男のことは出ていません。「自家記録」にでている如弘養純の弟は36歳時点でちゃんと桑原慶三郎となっていますので工藤家にいったのは次男だと推定できます。三男だからなんとか三郎となるわけです。「自家記録」の書き手は如弘養純のようですが、さかんに祖父である二代隆朝の残した借金のことが出てくるのです。真葛の著作にも母遊に弟の純が金を無心することなど苦々しく書かれているので、伊能図作成支援と関係があるのかもなど想像してみたり。伊能図研究会の方も以前から「自家記録」に期待してましたけど時代が違うのでがっかりしていました。 冥王星についてはおどろきました。我が家の版木惑星図が案外最新だったりして。
【2006/09/03 17:45】
URL | hayasaka #- [ 編集]
Re:桑原hayasakaさま こちらこそ,ご無沙汰しております。 そうか,,,やはり,慶三郎は三男だったのですね。世臣家譜には,慶三郎のことが触れられていませんでしたので(これも当然か・・・),どういうことかと思っていました。 仮に,次男管治が長男の翌年(文化二年)に生まれたと仮定すれば, 文化五年,四才で工藤家の養子となり, 文化十二年,十一才で工藤球卿の著作である『救瘟袖暦』を刊行したことになります。 序文を書いた大槻玄沢や,実父如則の支援を受けての刊行と整理すれば, この件も,つじつまは合うかも知れませんね。 ありがとうございました。早速,Uさんにもお知らせしたいと思います。 確かに,「自家記録」は時代が違うので,直接桑原純とは関係がないのですが, 忠敬研究会の中でも,最も桑原隆朝に精通しているUさんにとっては,貴重な情報かと思います。 さてさて。確かに,純の借金の件も「自家記録」にありましたが,伊能図支援との関連は,全く考えてもいませんでした。。。これも,興味深いです。 私の場合,伊能忠敬よりもむしろ,只野真葛がイライラする原因がどこにあったのかが,主な興味の対象です。四才の子供(あるいは,その後見人である実父に)に工藤家を引っかき回されたのなら,確かにイライラするかも知れませんw 勉強不足でして,門玲子著「わが真葛物語」はまだ読んでおりません。早速,来週にでも,図書館で勉強してきます。 貴重な情報ありがとうございました。 冥王星の件ですが,笑いました。。。確かに,明治初期に出版された太陽系像に,戻ってしまったのかも知れません。 http://m-donchan.hp.infoseek.co.jp/kokiki/hangi.htm
【2006/09/03 22:31】
URL | くろす #ErTzwQaA [ 編集]
只野真葛が極端に叔父の桑原純を憎んでいた事情は、戦前の小倉博や中山栄子の真葛伝にも書かれています。しかし大槻玄沢が「工桑二名手」と褒め称えたように工藤家と桑原家はともに医家として名家であり姻戚関係もあるほど仲がよかったわけですから、どんな意地悪な乳母がいたとしても、真葛の嫌い方は異常に見えます。桑原家ではなんとも思ってなかったでしょうね。 純は林子平の出版に際しても堀田正敦や工藤平助とともに資金援助してますし、自分と同世代の伊能忠敬に娘を嫁がせるなど気前がよかったとしか思えません。桑原四代はいずれも著作が多く、みんな同じ隆朝を名乗ったので誰がどの著作かわかりにくく、いずれこれを整理することができたら気分がすっきりすると思ってます。というわけで前から調べていたのでした。
【2006/09/03 23:11】
URL | hayasaka #- [ 編集]
桑原家については、色々調べてはみたものの、本当に情報が少ないですね。 隆朝の著作の分類。。。ご苦労お察し申し上げます。 もしも、自分に文才があれば、是非とも堀田正敦を主人公に歴史小説を書いてみたいと思う訳でして。所詮、文才がないので無理ですけど。。。orz 田沼意次と共に失脚した事情通の仙台藩医・工藤平助と、その娘にして女流エッセイストの只野真葛。正敦のブレーンであり、工藤とは姻戚関係にある桑原隆朝。隆朝を受け入れない真葛、しかし隆朝は娘婿である伊能忠敬を支援し続けた。その忠敬は、大坂の高橋至時を師とした。至時が、同僚である間重富、師である麻田剛立と共に成し遂げた寛政の改暦。そのライバルであった山路徳風は、仙台藩士の息子。仙台藩天文方の藤広則をリーダーとして、中塚喜十郎が改暦に参与して、不本意ながらも天文日本一と仙台で評される。 その昔、若くして亡くなった正敦の実父が、仙台藩の天文学を高く評価したという話は、兄から常々聞かされていた。しかし、寛政の改暦において、若年寄として改暦の総責任者となった正敦は、ゆかりの仙台藩を切り捨てて、大坂の天文学を採用する・・・。
それはまるで、宇宙に向かう多段ロケット。 天文学の祖と評される渋川春海を切り捨てた、仙台藩士・戸板保佑。 更に、戸板保佑の流れを切り離した堀田正敦。 切り離された3段目のロケットは、蘭学という推進剤を用いて急速に加速し、日本に、本当の科学が誕生する。忠敬の全国測量、天保の改暦などである。 林子平は、この物語からすれば単なる脇役かも。。。 というのが、脳内に巡る構想です。せめて、プラネタリウムのシナリオ程度には、完成させたいと思うのですが・・・。そのためには、一見、ヒステリックとも受け取れる真葛の心情や桑原家の実情を是非とも知りたい! と、思うのです。
【2006/09/04 00:25】
URL | くろす #- [ 編集]
すみません。門玲子著「わが真葛物語」はまだ私の手元にありますので、いましばらくお待ちを。「もしも、自分に文才があれば、」など、何をおしゃいますか、いますぐ着手なさるべきです。ここまで構想を公開して大丈夫ですか。私の知っている範囲でも堀田正敦について、ものにしようと考えている人が二人はいます。 辻原登の「花はさくら木」の好評でも知られるように、いま田沼意次の再評価とともにこの時代への関心が出てきている昨今、早い者勝ちです。科学史、歴史、地理にわたる幅広い知識と、読みやすく聞きやすい筆力を持つ、このブログのAUTH0Rを正敦は待っていたのではないでしょうか。下調べはおまかせください。 私は「わが真葛物語」にでてくる真山杢左衛門の「工藤家系譜略」を読みたいものと思っております。これによると桑原管冶が工藤家を継いだのは「10歳にもならないくらい」とあります。是非いそぎ執筆を。
【2006/09/05 10:34】
URL | hayasaka #- [ 編集]
今すぐですかぁ? hayasakaさま 只今、名取春仲と坤輿万国全図で手一杯です。(笑) 堀田正敦や桑原隆朝については、研究されている方も多いようなので、ついつい調査が後手後手に廻っています。特に正敦については伊能図との関連など、気にかかっていることは山ほどあるので,いつかは、まとめなければならないことは自覚しております。 しばしご猶予を・・・。 ところで,坤輿万国全図なのですが。ひょんなことから,今後1年の間に”本”を出版するとのプロジェクトが動き始めました。。。。こちらの方でも,いろいろとご助言を頂けると助かります。是非是非,宜しくお願いいたします。
「わが真葛物語」は,”貸出中”を確認してから調べに行くことにします。 市立図書館にもありますし。 ごゆっくり,どうぞ。
【2006/09/05 22:20】
URL | くろす #ErTzwQaA [ 編集]
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