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星と仙台 ご無沙汰しております。
昨年5月ごろ、某地域サイトの取材「300年前から星の都」でお世話になりましたHです。
その節は大変ありがとうございました。
「星と仙台」に関する話なので、直メールではなく、こちらにコメントさせていただきます。
仙台と星・天文学のかかわりを調べていると、「六ぼう星」のお話がときどき出てきます。
(管理人さん、博識なので、たぶんご存知かと思いますが…)
「仙台城下は六ぼう星を描くように寺社配置され、結界を形成している」というあの話です。非常に興味深い内容で、なるほどそういう捉え方があるんだ!と感心しています。
面白そうなお話だし、本も出ているようなので、機会があれば読みたいなと。
さてそこで思うのですが、仙台藩の占星術(天文学)者たちは、政宗が仙台に縄張りを開始したころから、まちづくりについてアドバイスできる立場にいたのでしょうか。
想像すると面白く、興味が尽きません。
ただ郷土史家さんたちから見たら、仙台:六ぼう星:結界説は異論なのかな、とも思います。北に北山五山を配置し、南に寺社町を配置したことには、やはり鬼門など方位が関係しているというお話は読んだことはありますが。
結界に位置する寺社の勧請・造営年月日を調べたら面白そうですね。
長々とすみませんでした。
聞き流していただいて結構ですよ〜。ではまた(^0^)
【2008/07/09 11:10】
URL | H #HElousOs [ 編集]
RE:仙台と星 ご無沙汰しております。昨年は、お世話になりました。
六芒星の話は詳しくはありませんし、この辺について調べたこともありませんが、当時の思想の中に当然、風水はあったはずですし、当然、政宗もこの思想を取り入れたと考えるのが自然ではないかと思います。
政宗のころは、天文方という役職はありませんでしたが、藩主の側には陰陽師がいました。平野伊勢守という人物が、キーマンかなぁ・・・と推測しています。
人取橋の合戦で認められ、代々藩の陰陽師を務めた家柄です。寛文(だったか)には、天文博士を名乗っていたような気も・・・史料が手元にないもので、ウソだったらごめんなさい。平野さんとは言いませんが、きっと誰かアドバイザーはいたのでしょうね。
【2008/07/09 21:52】
URL | くろすけ #ErTzwQaA [ 編集]
ご・・・ごめんなさい! パソコンの動きが遅いので、クリックのタイミングがずれて、
間違えて折角頂いたコメントを消してしまいました・・・・・
すみません・・・悪意があったわけではありません。
陰陽師というと、平安時代の安倍晴明のイメージが強くて、江戸時代の陰陽道の事体を記した本は少ないのではないでしょうか。知人の研究論文を読んでみると、まだまだ研究そのものが少ないと感じてしまいます。また、東北地方は、修験などの影響も強かったようで、陰陽道の空白地帯と考えられていたほどのようです。
平野伊勢守は代々この名前を用いているので、幕末に仙台で発行された暦の編者として名前が知られていますが、それ以前は余り登場しませんねぇ・・・・。これも、幕末だったと思いますが、相撲の番付を真似た有名人番付に、平野伊勢守が陰陽師として出ていた位いですから、有名な人であったとは思います。しかし、暦以外の活動を知る資料が見当たりません。。。
【2008/07/10 21:53】
URL | くろすけ #ErTzwQaA [ 編集]
こんばんは☆ いえいえ、どうぞお気になさらずに(^^)
そうかぁ、東北は陰陽道の空白地帯なんですね。
たしかに東北といえば山岳信仰が根強いイメージがありますもんね。
まずは「六ぼう星」と仙台の町割について書いてある本から読もうと思っています。
お忙しいところ、ありがとうございました。
【2008/07/10 23:41】
URL | H #- [ 編集]
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