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| 思うこと |
先日、陰陽道の研究家のuさんとお会いする機会があった。 色々お話を伺っているうちに、たまたま同じ人物に注目していることがわかった。踊りで有名な地区の人物。 んで、最近考えた。 これって、偶然なのか必然なのか? 恐らく後者である。 S市の天文史にこだわるボクの切り口と、 陰陽道研究家としてのUさんの切り口はとりあえず全く違うのだけれども、 たまたまお互いの近くに空白があったから、 注目しただけのことだけかな? っと。
切り開かれた道を歩くことは簡単だけど、 新しい道を切り開くのも意外と簡単かも。 我武者羅に未知の草っぱらに踏み込んで、 次の人が通れる道を作ればいい。 ただ、それだけかも・・・・ 今はただただ、踏み込んでいく時間がほすい・・・・
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| そう言えば・・・ |
そう言えば、天文思想。 従来、信仰と捉えられてきた江戸の人々と星との関わり。 これらは天文信仰と括られ、いわゆる天文学とは区別されてきた。そういう私も、ずっとそうだと思っていた。
しかし今では、あえてこれらは天文思想であると反論したい。 天文を信仰とするならば、一部の信じる者だけが信じているに留まる。しかし、思想とするならば、少なくとも天文は当時の教養ある人々の間での常識なのである。 例えば、陰陽道の中の陰陽五行説。十八夜講や二十三夜講に見られる仏教系の行事。同じ仏教でも、相馬や涌谷に代表される妙見信仰というのもある。平田篤胤に代表される国学にも天文は含まれている。儒学の中、特に易経に含まれる宇宙論。 形は様々であれ、これらの背景にあるのが天文思想。遡れば、4000年前のメソポタミアにたどり着くという。 西洋では、ローマ神話やギリシャ神話として語り継がれ、東洋では、インド、中国、韓国を経て、暦と共に日本にたどり着いた。
極端かも知れないが、江戸時代の仏教、神道、儒学と言った全ての学問の中に天文思想は含まれているのである。 だからこそ、古い学問を批判して新たな思想を練り上げた、、、例えば秋田の平田篤胤、青森の安藤昌益、大分の三浦梅園など、この時期の思想家たちの主張には、必ず天文が含まれているのだ。当時、主流だった儒学などの諸学問に批判を加えるのであれば、諸学問が持っている宇宙論まで言及しない訳にはいかないのである。彼らが、宇宙にまで言及した理由がここにある。特別なことではなく、当然の結果なのである。
今ではすっかり「天文=天文学」である。それゆえ、講演の始めに、「みなさん、天文好きですかぁ?」と、問いかけると100人中、5人しか手を挙げない。そして、歴史家の方々は言う。「天文のことは解らないからねぇ・・・。 江戸時代の天文と現代の天文学。これを、同じ物だと考えてはいけない。
いやいや、昨日・今日の研修で、否定語を並べてはいけないよ。と教わりながら、ついつい否定語を並べてしまった。。。まだまだ未熟やねぇ・・・
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| 俗暦。遡りました |
本日,新たに俗暦入手。 明治十八年暦(17年出版)まで遡った。
太陽暦と太陰暦はどちらが使い易い暦なのか? きっぱり断言するけど、それは太陽暦である。
太陰暦は月齢とシンクロしているとか、月が今よりももっと生活上身近な存在だったという解説は根拠が全くない。大体、農業を営む上では、太陽の運行が重要であり、月の運行はどうでもいいのだ。でも、漁業の場合は大きく関係するかも。毎年、3月3日は干満の差が激しい。では、旧暦は漁業用の暦だったのか? そんなはずはない。むしろ、星の位置(=太陽の運行)を目印に漁業を行っていたという事例は、民俗学的な言い伝えとして、大海の如くたくさん残されている。
江戸時代の暦には、24節気(=太陽の運行)が書かれており、太陽太陰暦などと言われている由縁である。農業用の24節気に加え、春海が作ったと言われる八十八夜、210日が記されている。
ではなぜ、月の運行を重視したのか? これを解く鍵が、江戸の人々の天文思想なのである。
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| 天文という概念(3) |
明治6年、太陽暦が採用され、旧暦は廃止されたと多くの本が記す。しかし、旧暦は明治42年暦まで記載されており、その後も月齢という形で記されている。引き札(ポスター)に記されている暦を見ると、42年暦までは、堂々と”舊暦”と記されていて、43年以降は・・・これが面白いのだけど、別の話。 結局つまりは、明治6年の改暦で廃止されたのは、旧暦ではなく、”暦注”なのである。 そこで人々は、暦注を”俗暦”に記し出版した。多くが現在に伝わっていることから、出版数もかなり多かったと思う。江戸期にはなかった、六曜、九星も記した。今のところ明治23年まで遡ったが、それ以前から俗暦は作られていたのであろう。
昭和に入って戦争の頃、俗暦は次第に統一され、”高島易断暦”として現在に残るのである。”九星”が暦に載るのは、明治になってからであり、高島暦が厳密に江戸期を反映しているとまでは言えないが、天文思想の一端がここにある。と言ったところであろうか。

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| 天文という概念(2) |
天文という概念は、今ではすっかり忘れ去られている。 ・・・という始まりは、確か以前にも書いた。 40も過ぎた私が、自分の祖母をバーバと呼ぶのは、全く以ておかしな話だが、18にして仙台に来て以来、すっかり祖母とも疎遠になってしまっていたことは事実であり、疎遠さゆえに、バーバと言っていた頃の記憶だけが鮮明なのである。 最近、つくづく思うことは、小さい頃にバーバとじーやんが、毎年のように買っていた「易断暦」のことである。幼い頃から天文が好きであった私も、さすがに「易断暦」は、理解できなかった。いや、最近までは全く眼中にもなかった。 去年、思うことがあって明治期の俗暦と呼ばれる暦を買い漁った。これらは正当な評価・検証がなされておらず、”俗暦”の名前が示す通り、”俗”で片づけられてしまっている暦である。その延長線上に「易断暦」があり、反対側の延長線上には江戸の暦がある。それに気づいたのは、つい最近のことである。 そうだったんだ!・・・幼い頃、じーやんとバーバが買っていた「易断暦」こそが、天文思想を今に伝えるものだったんだ!
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